勝つ事と負かす事は全然違うと思う。やりたい事だけやってるけども・・・

自分と反対側の立場の気持ちになると

見えなかった色んな事が見えてくる。

でも、やっぱり自分側から考えてるのでどうしても分からない部分もある。

そんな時、反対側の立場の人と話をすると

「あーなるほど!!たしかに!!」って思う事がある。



成り行き上、立場上、相容れない状況ってのはあるけど

それでも「尊重し合う」事や「いつか分かり合う」って事ができると思う。

それが成り立たないのは「敬意」がない場合。

それだけは悲しい結果しか生まないと思う。



「敬意」っていうのは別にへりくだったり服従したりする事じゃなくて

純粋に相手を敬う気持ち。

「自分に足りないもの」を他の人がや他の存在が持っていて

それを「学ぶ」っていうような気持ち。

そんなんだと思ってる。



僕はベジタリアンでは無いし捕鯨も反対じゃない。

自分の意志や主義で「食べない」事を選択するのは自由だけど

それを他人に強制するのはその時点でもう「驕りの心」になってると思う。

牛や豚や鶏は食べても良いけどイルカやクジラはダメとか意味が分からない。

生き物だから無条件に殺生反対という主義には、

「じゃあトマトやきゅうりに命は無いの?」って問いたい。

むしろ「家畜」という表現で平気で命を商品として扱う方が抵抗がある。

でも僕はお肉が大好き。

喜んでいただく。

解決できないジレンマでもあるんだけど、

ある時からこう思う事にした。

「自分が食べられる時の事を考えて食べよう」って。

もし僕が「お肉」として食べられる事になった時に思う事。

「残さず美味しく食べてね☆」って思いたい。

でもまぁその直前まで「食われてたまるかー!!」って頑張ると思うけど。



「野蛮」な行為として「狩り」を悪く言ったりする考えがあるけど

それもあまり納得できない。

だからって「狩りをしましょう!」って言ってる訳ではない。

「狩り」をする人は「自分が狩られる」事を考える(想像してみる?)べきだと思う。

それでも「生きる為」に「狩り」をする人は敬意を持ってそれができるんだと思う。



「狩りと似た感覚」が、スポーツや競争にあると思う。

自分が勝つと相手が負ける、相手が負けると自分が勝つ、

そういう側面はどうしても付いて回る。

だから「勝負」っていう言葉にもなってる訳だし。

「自分が勝つ」為に必死になるエネルギーと「相手を負かす」為のそれは、

似てるようで全然違うと思う。

「自分が勝つ」為には「自分を高めよう」ってなるけど

「相手を負かす」為なら「相手が落ちればいい」って気持ちでも成立しちゃう。

「どっちが正しい」とかそんな事を決めつけるのも「驕り」な気はするけど

「どっちが楽しい?」って考えると僕の答えはいつも前者。

「後者の気持ち」で何かした時は最高に後味が悪い。

だからいつの間にか「相手が負ける」事を望む事はなくなった。

それはシンプルに「その方が自分もハッピーだから」っていう理由。



もう長いこと「自分のやりたい事」をひたすらやって

「自分が言いたい事」や「自分が思う事」を遠慮なく言って生きてるんだけど

以外と人と衝突しない。

「我慢」したり「あとで機会があったら」とか思って生きてる時のが衝突あった。

なんか不思議やなって思う。

でもそれが自然なんかもなっても思う。



別になんかあった訳じゃないです。

ただふと言いたくなっただけ。


もう昨日になるのかな?この日曜日、

久々に完全OFFが取れたので遊びに行ってきました。

美味しいものを食べてキレイな空気を吸って、

すっごく素敵な自然を感じてきました。

「明日からまた楽しくがんばろ!!」

と思いながらこのブログ書きました。

明日が今日よりもっと楽しい素敵な日になりますように。

おやすみなさい☆







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