2015年8月21日金曜日

「厳罰化」も「より重い罪を」もやめちゃえば良いのにって思う話。罪と罰ではないけれど・・・

久しぶりのブログです。

めっちゃ期間あいちゃいましたが、忘れてた訳じゃないっす。

先月タイに行ってきて、色んな刺激や感じる事があって、

なんかブログやFBの投稿をできずにいました。

1ヶ月経ってやっとなんか「書きたい」と思ったので久々にw



罪と罰って訳じゃないんだけど、

日本にいてすごく違和感を感じる事がいくつかあります。

「厳罰化を望む運動」がそのひとつ。

被害者の親族の方が「犯人を罰して欲しい」とより重い罪を望んだり、

その犯罪に対しての厳罰化を求める運動をしたり・・・

僕はすごく反対です。



被害者の事(この場合亡くなってしまった方ですね)を愛する人が

その人を失ってしまった時、

その喪失感や悲しみ、怒りといった気持ちは計り知れないものがあると思います。

それでもその気持ちを犯人や、

厳罰化を求める運動という方向に向けてしまうのは反対なんです。

その人たちの気持ちが分からない訳ではありません。

僕もそういう経験をした事があります。

抑えられない気持ちの行き先を何かに向ける事はとても良い事だと思います。



でもね、「より重い罪を」とか「厳罰化を」っていうのは良くないと思うんです。

なぜ良くないか?

それは「復讐」っていう気持ちであったり「憎む」っていう気持ちであったり、

決して「プラスのエネルギーは生まない」と思うんです。

その行動をしてる時は必死でその事を感じたりしないと思いますが

例えばそれを「成し遂げた」時に「良かった」と思う気持ちは

決してその人を本質的に幸せにはしないと思うんです。



憎しみは新たな憎しみしか生まないし、

憎しみを増幅させる事はある種のスイッチを入れてしまえば簡単です。

でもそれはきっとその人を幸せにはしないと思うんです。

亡くなった人の為に、そしてそれを悲しむ人の為に、

決してプラスにはならないと思うんです。



罪を憎んで人を憎まず。



ものすごく好きな考え方です。

自分の生き方の軸にしたいと思ってる考え方。

僕は右の頬をぶたれて左の頬を出そうとは思えません。

ぶたれたら次はよけるか、もしかしたら反射的にやり返してるかもしれません。

でもその相手を恨んでしまったら、

その気持ちが自分をもっと嫌な気持ちに、

自分自身を自分で好きになれない人間にしてしまう気がするんです。



殴られたらね、殴り返しても良いと思います。

かなり極端な話かもしれないけど、

でもその時に思ってる気持ちは「この痛みをあなたも分かってくれ」という気持ち。

それでのみ行動できる自分でいたいんです。

それが「厳罰化」や「より重い罪を」と一緒ではないのか?

と言われるかもしれません。

でもね、僕は少し違うと思うんです。



罪を犯そうとして犯す人はかなり少ないと思います。

そして罪を犯そうとして犯す人もなんらかのその人なりの事情があったり、

その人が背負うなにかがあったりすると思うんです。

別にその人を弁護してる訳ではないですよ。

自分のした事は自分で背負うべきだと思うし、

別に罪を犯した人を裁くなとかいってる訳ではないです。



罪を犯した人にその被害を受けてしまった人ができる事は

その罪によって与えてしまった苦しみを分かってもらう事だと思います。

「分からせる」事ではなく「分かってもらう」事です。

人間の心って「強制される」事には「反発する」ようにできていると思います。

「より重い罪を」と訴える人に対して、

それを受ける側の人間は「自業自得」「仕方ない」と思う人もいるかもしれないけど

だいたいはその行為に対して「自分への攻撃」と感じると思います。

それによって「より深く悔いる」事はないと思うんです。



ある種の決意をした人間の心には、

攻撃では決して届かない領域があると思います。

そう時に一番堪えるのは「自分自身で悔いる」事です。

そしてたぶん「被害側」が本当に望むのはそういう気持ちだと思うんです。



自分や大切な人がとてつもなく傷つけられた時、

その「やるせない気持ち」を救ってくれるのはその痛みを与えた人に

その痛みを分かってもらう事だと思うんです。



そしてそれは「より重い罪」っていう形では成立しない、と思うんです。

もちろん罪を許せと言ってる訳ではありません。

自分や大切な人が悲しい思いをしたら、

そんな気持ちを感じる人が少しでも少なくなって欲しい。

そう思う事はとても素晴らしい事だと思うんです。

でもそれは「そういう事が起きないように」が本質だと思います。



「厳罰化」はある種の抑止力にはなると思います。

でもそれは「ぶたれるから言う事を聞く」という動物的な本能であって、

その先には「ぶたれない方法があればやる」に向くと思います。

そしてそれは本質的な「みんなの幸せ」には決して向かないと思うんです。



「二度と起きて欲しくない」事を自分が経験したとしたら、

「それをしようと思う人がいなくなって欲しいと思う」と思うんです。

それを「強制」ではなく「自発」の形で実現できたとしたら、

その為に自分たちが費やすエネルギーはきっと「幸せをくれる」と思います。



とても悲しい事を経験して深い心の傷を負った人が、

その傷のエネルギーに囚われて大事な時間や労力を費やす事はすごく悲しく感じます。

だって絶対その先に、心から「良かった」って思う答えはないと思うから。



だから「厳罰化」やより「重い罪を求める」事には反対です。

犯人になってしまった人のより深い反省が得られる訳ではなく

傷ついた人の心を救う事にもならないと思うからです。



自分が納得いかない事や許せない事は本当になくなって欲しいから、

だからこそ目の前から消すのではなく本質的に変えたい。

本質的に変わって欲しいと思います。



「なんか気が乗らないからやめとこう」

それが、

全てのマイナスの行為の最大の抑止力

になって欲しいと心から思います。



僕は年々増えていく「規制」「罰則」「義務」にすごく気持ち悪さを感じます。

それは決して「本質的な改善」にはならないと思うからです。

そんな事よりも「大事な人に悲しい思いをさせたくない」

そういう気持ちが社会の、世の中の軸にあって欲しいと思います。

そして、全ての人

(動物も植物もそうなんですが、人間は動物や植物を食べないと生きていけないから話が

もっとややこしくなっちゃうのでその話はまた別の機会にします)

が「大事な人同士」になれたらすごく楽しい未来になると思うんです。



夢物語、理想論、綺麗事、その通りだと思います。

でもそんな世の中になったら素敵じゃないですか?

ほんの少しでも僕が生まれたこの世界がそうなって欲しいと思うし、

そうなる方向にほんの少しでも自分が貢献できるなら

そんな楽しいやり甲斐って他にないよな、って思います。



完全な俗物の僕がなにを偉そうにって自分でも思いますが

なんか久々に書きたくなったのでw



別になにもないですよ。

大きな事があった訳でもなんかの事故が起きた訳でもないです。

ただなんとなく「あっ言いたい・・・」と感じたので。

ではでは。


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