なんでおまえ市役所でメシ食ってんのよ?っていうあなたへ

毎月17日に市役所でランチする事にしてます。

日曜だったらどうすんだ?とかはあんま考えてないけど、

とりあえず続けてます。

きっかけは少し前の大阪都構想についての住民投票。

あの結果にはすごくガッカリしたけど、

それ以上に気になったのが後味の悪さ。

賛成or反対で大阪が割れて、まさに戦ってた。

その後の結果には「やっぱりか」みたいな流れしか感じないけど

それはまぁそれを望んだ人のが多かった(強かった)って事で

気にするなら次どうするか?って事なので言ってもしゃあないなって思ってる。



でもあの投票の時に、

どっち側とか関係なく、傷付いた人達こそ大阪に本当に必要な人だと思ってて、

それがすごく残念に、悔しく感じた。



大阪を良くしたい!!って強く思う人達がすごく色んな事を悩み考えて苦しんで、

大きな決断をしなくちゃって心を痛めてて、

投票の結果云々じゃなくその後の流れはどう見ても

「なかった事」にしようとする力が強くって、

ふざけんな!って思う。



まぁとにかくそんなんで、

大阪に良くなって欲しい!って心から思ってる人が大阪にとって大切な人だと思ってて、

そんな人達が仲良くおもろい事を考えたり企画したり進めたりしたら良いんじゃないかと。

ほんですぐに「雨降って地固まる会」ってFBのグループをつくった。

ほんでその会を1ヶ月後の17日に市役所の食堂でやった。

なんで市役所かっていうと、それは投票がまさに市が要るか要らんかだったから

市の中心といえば市役所だろうって思ってw



第一回はFBでイベントにもしたし人が志を持った人が集まる事自体に意味があると思って

呼びかけてたくさんの素敵な人達が来てくれて楽しい貴重な時間を持てた。

でもオレはプラカード持ってデモしたりなんかの抗議活動したりとかはガラじゃない。

変えてくってもっと楽に楽しんでできると思ってて、

それを勝手にどんどん実践しちゃえって思ってる。

だから特に大きく動くわけでもなく毎回みんなで集まってっていうのは

関わる人にとってヘビーになっちゃうやろなって思って、

そっから17日にひょっこり市役所の食堂にランチに来る事にしてる。



その日その時間は「大阪を楽しくする事を考える時間」にしようって思って。



ってこのブログを書いてたらお姉さんに声かけられた。

「おっランチご一緒の人か?」と思ったら新聞社の人だった。

まぁ一緒かw

一応取材らしくて、「この秋の事についてどう思う?」とか聞かれて

思う事をお話しした。

話すために言葉にすると意識してなかった事とかも自分で気づいたりして楽しいね。



なんか話しててエネルギーの話になって(というかひとりで話してたんやけど)

ここ数年特に大事にしてる事なんやけど改めて思い出した。



シンジ(弟)が死んだ時と、その後の事とかも一緒やなって思ったんやけど、

住民投票の時にすごく嫌だったのは「嫌う」「憎む」みたいな

マイナスのエネルギーをいっぱい感じて、

ヘイトスピーチとかネガキャンとか怪しいリーク情報とか、

個人への誹謗中傷だったりとか、

そういうエネルギーでしかも「対決の構図」になっちゃったから

後味が悪くて仕方なかった。



でも、「悲しみ」でも「憎しみ」でも、

その感情が大きければそれは大きなエネルギーで、

それによってその人自身や周りの人は大きく影響を受けたり動いたりする。

でもやっぱりマイナスの感情は人を幸せにはしないから

なにかの決着がついてもその後に禍根が残る。

それは廻り廻ってどっかで自分にまた返ってくると思う。



だから俺は、悲しい時や腹立った時に、

そのエネルギーの向く方向を少し変えるように心がけてる。

例えば腹立つ事があったとしたら

その理由とかキッカケとか気持ちとかがあって、

それが自分の望む事や良いと思う事と異なるから腹が立つ。

って事は怒りの感情が重要なんじゃなくて、

自分がして欲しい事や、して欲しくない事や、なって欲しい方向とか、

そういった事が大事なんだと思う。



大事な人やモノを失ったとしたら、

それは悲しいけど大事だから悲しい訳で、

それを悲嘆にくれて嘆き叫んでも誰も幸せにはならない。

それより大事な人がどれだけ素晴らしい存在だったかを

少しでもなにかのカタチで分かってもらえたり知ってもらえたり、

そういう風に頑張る方が

沈んで絶望してるよりよっぽど良いと思う。



なんかそういう事で世の中にもっともっとハッピーが溢れていったら

それって絶対「楽しくなる」よなって思ってる。



まぁ脱線しちゃったけどそういう経緯で17日は市役所で昼ご飯を食べてる。

ほんで「なにやったら大阪楽しいかな」とか、そんな事を考えてる。



オレは活動家でも運動家でもなくて、

ただ楽しい事が好きで「つくる人」でありたいって思ってて、

同じ感覚を共有共感できる人とたくさん話したいなって思ってる。

なので来月も17日は市役所で昼飯を食べるので、

興味湧いた人はぜひご一緒にw

ってでも来月も平日か?ってカレンダー見たら土曜日?

あれ?土曜日ってやってるんやろか・・・



あっそうそう、新聞は日曜日に記事になるとかなんとか。

なったら送ってくれるって記者さん言ってたので

なったらご報告します一応。

いつも通りアホな事ばっかり言ったからかなり怖いけどw



市役所食堂「ナポリ亭」楽しいよ☆

つくるって事と家具と「思いっきり好きなように生きる」って事と仕事のこと。

ROOTS FACTORYの近く大阪の桜川にできる新築マンション


のモデルルームの家具をつくらせてもらいました。


まだ最後のディスプレイとか最中なんだけどもうじきOPEN。

めっちゃこだわってつくったので是非見に来てね!

っていう宣伝から始めたけども、今日は

つくる事について書きたいな、って思ってブログ。

「どうでも良いやん」って言われる事に変にこだわったりするとこあるんやけど、

「つくる」っていうのを言葉にする時に、

「作る」「造る」「創る」って色んな意味がある。

どれか明確な時は漢字にして書くんやけど

最近ずっと「つくる」って表現するようになってて、

それは「作る」「創る」の両方だったり、

「造る」を入れたかったりで、

「つくる」が一番しっくりくるから。



今回ファインセントレオシティさんのプロジェクトは、めっちゃ楽しかった。

要望は頂いたけど基本「指示なし」の状態。

つまりかなり「やりたい放題」やらせくれた。

もちろん予算は決まってるし、

「それはNG」とか「B案の方で」とかそんなんは当然あるんやけど、

根本的に「やりたいこと」をさせてくれた。

これって企業さんとのお仕事ではほぼあり得ないくらい幸せな事。

だから行間というか打ち合わせしきってない余白の部分に

思いっきり愛情を詰め込んだ。

実際につくるのは ROOTS FACTORY 工房なので、

俺は職人としてでなくアイデア出したり細かなディテール決めたり、

直接「作った」部分は多くないんだけどねw



オーダーメイドの家具を注文してくれるお客さんも、

最近すごく「余白」や「行間」をくれる。

これがもう幸せで幸せで仕方ない。

俺の(ROOTS FACTORY全体かな)やりたい事って、

結局お客さんに喜んで欲しい!が最終目標だから

お客さんの好みや生活スタイルとかはめっちゃ気にするんだけど、

それを「こうですか?」「ここがツボですか?」みたいなやり取りしながら

お客さんが「考えてた以上」のカタチにしたいっていうような事。



だから依頼前にすでに完全に完結してて、

ただ機械のように忠実に効率良く指示をこなしてくれる外注先を探してる。とか、

明確な欲求やイメージじゃなく「なんか流行ってるから」とかで中身のないまま

それをカタチにしようってオーダーとかとすごく相性が良くない。

明確な欲求とかイメージって別に難しい事じゃなくて技術も経験も要らない。

例えば「カワイイ私が大好きな椅子が欲しい!!」ってあったとして、

その色や形や仕組みなんかは全く不明でも全然構わない。

でも「これが好き」って感覚だけは内側から出てる「本質の欲求」みたいな意味。



「仕事なんだから文句出ないように取り決めだけしてそつなくこなす」が

きっと世の中のだいたいの正解なんだろうと思いながらも、どうしても苦手で、

そういう感じになりそうな案件て頑張って断るようにしてる。

「頼みたい」って思ってくれる時点でめちゃめちゃ嬉しいので、

本当は何でもかんでもやりたいんだけど、

しっくりこない時は断るのも誠意なんだなって。

けっきょく自分の 性分で「やりたい事しかできない」んだなって思う。



そんなだから「家具つくりたい」って家具屋さんからつくっちゃった訳だしw



そんな事をずっと命がけでやってるので、

いわゆる「おいしい仕事」なんてのには全く縁がないけど

ありがたい事に仕事が楽しくて仕方ない。

こんなややこしい俺に関わってくれる人って本当に素敵な人ばかりで、

すごく沢山のめっちゃ素敵なエネルギーを毎日もらってる。

本当に幸せやなって思う。



こないだ弟が突然死んじゃってすごく悲しいしまだ半分実感ないくらいだけど

その事がきっかけで弟が大事にしてた、弟を大事にしてくれてた人達と

一気にたくさん知り合った。

ずーっと音楽漬けの音楽バカ(最高の敬意を込めて)ばっかりの最高にハッピーで

最高に素敵な人達ばっかりで、全然違う環境なのに同じ言葉を話せてビックリした。



昔にね、ちょこっとバンドやってた。

その時はそれにすごく真剣で、今思うとツッコミたくなる事山ほどあるんやけど

でも本当に命かけてた。

ほんで13年くらい前に会社(まだ登記してないけどねw)はじめて、

色々あって家具屋になって、

それで今があるんだけど、

自分が進んできた道には一切後悔はなくて、

あっ失敗や粗相は山ほどあるよw

そういう意味じゃなく「あん時ああしとけば良かった」とかは一切ないって意味。

ほんで今の自分や今の自分の周りにいてくれる人逹に

最高に感謝してて最高に誇りに思ってるんだけど、

「この道を来なければどうなってたんやろ?」って興味はあった。

この興味っていうのが肝心ね、純粋な好奇心というか、つまり興味。



そんでね、色んな道があるなかでひとそれぞれ違う道を生きてくんやけど

その全然違う道だけど自分が大事にしてた道で、

たまたまバッタリ出会った時に

同じ言葉が話せた事が本当に嬉しかった。

なんか意味わからんと思うけどw



同じ言葉が話せるって事は、

今俺の周りの大切な人達と、弟が大事にしてきた世界の人達と、

同じ言葉が話せるって事。

ちょっと乱暴にくくっちゃってるかもやけどだいたいそんな感じ。



そんでね、だいぶ脱線して何が言いたいかっていうと、

思いっきり好きなように生きろ!!

って事w

人に迷惑をかけないとか、そんなんは当たり前、

人に迷惑をかけたり、人の悲しむ事が楽しい人とは俺は合わない。

人それぞれ考えや大事な事があって、それが違うのは当たり前、

でもそれをお互い尊重さえできてれば、

本当に好きに生きたらええねん!って思う。



ほんで「つくる事」の話に戻る。

家具でも音楽でも料理でも

「つくる」って事は同じだと思う。

コピペやレシピやリプロダクト、コピーに版権に色々あるけど

やっぱり「つくる」の基本は同じで、

それを改めて実感できたのがすっごく面白かったし、

嬉しかった。



ほんでこんな事を書いてる最中に赤ちゃんから電話があって、

「え?このタイミングw」って、

本当に繋がってるなって思った。


赤ちゃんは弟が東京で兄貴って慕ってた人の一人で

今回めっちゃ仲良くなったまさに今このブログに書いてたひとり。



ほんでね、

「思いっきり好きなように生きろ!!」もともと俺の大事なポリシーなので

命がけで実践してる訳だけども、それはすごく信念的なものなので

おっきな事があったら好きな事もやりたい事も微妙に変化する。

今、やりたい事が増えちゃって、

「いつかやろう」って思ってた事も今やりたくなっちゃったw



その事についてはまた別の機会に書くかお知らせするかすると思うけど、

なんか今日はこんな事がただ書きたくてw



「分かる!」って人、

思いっきり好きなように生き続けようね☆



初期衝動。アニマル。音。本能むき出し。死ぬまで生きてる!

初期衝動。

すごく動物的な本能っていうか感覚っていうか・・・

いろんなモノが生まれる時に欠かせないモノだと思う。



良い絵を描こう!

良い音楽を作ろう!



そんなんでできる訳ないと思う。

例えば明日自分が死ぬって分かってて、

いま手元にあるのがキャンバスと絵の具だったら、



自分の生きた軌跡をこめたり

残す人に愛を送ったり



衝動の方向は色々だけど強いそれが勝手に生まれると思う。

音楽は人が音を発するようになったのがはじまりだと思う。

そしてきっと人が叩くことを覚えた時かな?



言葉が先か音楽が先か?

それぐらい根源的だと思う。

たぶん音楽なのかな、書いてて思った。



狩りの最中に仲間に居場所を伝えたり、

「私はあなたの敵じゃないよ」って伝えたり、

「OhhOhh」とか「BuHuuuu」とか、どんなんか想像も付かんけど、

そういう音はたぶん言葉。



洞窟かなんかで、仲間と「幸せ」を共有したくて出す声とか

きっとそんなんが音楽のはじまりだと思う。



音楽だと

五線譜や音階や、ビートやコード、

打楽器に弦楽器に鍵盤に管楽器に・・・

さらにそれをDATAにしたもの

そしてからジャンルやなんや・・・

そないに詳しくないからズレてるかも知れんけど

「音楽をつくる」ってイメージするのってそういうもののが多い気がする。

そしてそれが上手に、得意に、なればなるほど本能の初期衝動を見失いやすい。



よく絵でも音楽でも「ヘタウマ」ってあるけど

あれが魅力を発するのはそういう事かと思う。



でも「ヘタウマ」は無意識だからこそ美しく心を打つだけで、

それを継続はできない。

だって人は学習するから、してしまうから。

もう学んで身に付けてしまってるのに、

「下手」を装うとものすごく見苦しく空虚なものになってしまう。



プロとアマの違いって根源的には

本人の意識のみだと思う。

自分が「プロ」だと思えばそこからプロフェッショナル。

ただしそれは全く楽しいことでもなんでもない。

「プロ」とはつまりそれでなにがしかの報酬を得ること。

報酬は対価なので相手がその価値を認めてはじめて成立する。

だからめちゃめちゃシビアな戦場に出るってことでもある。



努力しても報われる訳ではなく

生まれつきの才能も人それぞれですごく不公平

チャンスや運も同じく



でも努力しなければそもそも可能性さえないと思う。

そんなシビアな場所が「プロ」って事なんだと思うんだけど、

そこで生き残るためにどうしても「方法」に頼ってしまいがち。



いまの「コピペ」文化なんてまさにそれかと思う。

積み上げられた結晶を「DATA」という形で簡単に吸収できてしまう。

もろのそれは「パクリ」だけども、

切り刻んで断片を再利用したり、

色んな破片をくっつけたり、

解析して区分に分けて再構築したり・・・



でもそれも良いと思う。

極端になってきてはいるけど

そもそも「コード」っていう考え方や

もっと前の「音階」は、

そもそも共有や伝承の為に生まれたはず。

記録の為でもあるかもしれないけど

所有や排他の為に生まれたもんじゃないと思う。



そんなこんなで色んな表現やアート、音楽、

そんどん「根源的な衝動」が薄くなってきてる気がする。

でもきっとそれこそが一番心に届くきらめきなんだと思う。



記憶がある時からずっと取り憑かれてたように無意識に大切にしてた事で、

この10年くらいでやっとそれを認識して、少しずつ自分で形にしようとしてる考え。



先週弟が突然死んで、

とりあえず送り出すまでとにかく必死で他の事は考える間もなかったけど、

それが手を離れてから色々と思い返したり考えてみたり。

なんだか同じような事にあいつも向き合ってたんじゃないかって気がして、

なんだか不思議なんだけどでも確信に近い自信があって・・・



大した答えがあるんじゃないんです。

初期衝動。

それをカタチにしたい場所がひょっこり増えちゃった。

またいつか・・・

って仕舞ってたモノを

ほじくり返す時なのかなって思った。

思い出とか懐古とかそんなんじゃ全くないよ。



初期衝動。



伝えたい人がいっぱいいる。

伝えたい気持ちがいっぱいある。

他の人の事さえ大事に思えたら、思いやれたら、

自分自身はもっともっとアニマルで良いんだよ。

本能むき出しでもみんな楽しく生きていけるよって。



さぁ今日も今から楽しい事だらけw

大丈夫、死ぬまでなにがあっても生きてるんだから、

死ぬまでめいっぱい生きていこう!!

シンジの事とか書いとこうと思って。

ちょうどこのブログを書こうとしてた時。

ずらずら〜って書いてなんか変で「う〜ん」とか思ってて。

前の「厳罰化・・・」とかと近いようなテーマ。

でも全然書いてて違和感で、時間は午前1時くらい。

FBに友達申請が来て、

ありがたいことにフォロワーさんがいるので、

申請に表示される(なんか似た感じの表示になる)のはたまにあるんやけど

その後メッセージがきて「シンジの事で・・・」って知らせが。

事故して病院に運ばれたけど全然病院が容体教えてくれないとの事。

「家族じゃないと教えられない」って事だったので

病院の番号聞いてすぐかけた。

「ご両親は?」と言われ、兄だって言ってるのに全然教えてくれない。

もう最近きちんとした話ししかしないようになってるのに

動転して「ええから早よ言えやオイ!」とか言ってまうくらいびっくりして。

「とりあえず深刻って事ですよね?」って聞いたら

「はい・・・」って。



両親の連絡先を教えてくれたら病院からかけるって言ってたけど、

なんか絶対俺からかけた方が良い気がして、

実家に電話して、「シンジが事故してたいへんらしい。電話して!」

って言って切って。

ちょっとして実家にかけたらおかんが泣きながら

「信治が死んだって。ほぼ即死だって・・・」って泣き崩れてて、

「とりあえずすぐ行くわ」って言って、

お酒飲んでたからタクシーで実家に向かった。



不思議とすごく落ち着いてた。

「死んだ」って聞いたからってのは大きいと思う。

「生死の境を彷徨ってる」だったらそのまま車乗って九州まで行ったかも。

飲酒運転でもして行ったかもしれん・・・



そこそこ長い時間生きてきたから、

「どうしようもない事」がやってくる事は何度かあった。

「死ぬな俺。」っていう経験も何回かはあるから

なんか「死ぬ」っていう事は以外と受け入れられる。

というか避けようがない。

ちなみに俺も昔車こかして一瞬でくるま全損になった事あるねん。

大通りでこけてそのまま道路横滑りして、

石積んだ花壇に突っ込んで車からもくもく煙あがってね。

昔の話でベルトしてなくて、

こけた車が横滑りして地面に火花走ってるのをシートに変な格好でつかまってた。

時間はたぶん2秒もないくらいだけど本当に映画みたいで。

ガシャーンってぶつかって止まって、

自分と一緒に乗ってた友達とで横になった車から這い出て

近くに座ってぼーっとしてたら消防車や救急車がいっぱいきて、

消防士さんが「大丈夫かー!!」って車に向かって叫んでるのを

俺が後ろから「あのー・・・」って話しかけたら

「うるさい!邪魔しないで!」って怒られてしばらく黙ってて、

よじ登って中見て「中に人はいない模様!!」

って他の消防士さんに報告した時に

「僕なんです・・・」

「あ・・・」

みたいな。



アホな事ばっかりやってきたから、

わりとそういうとんでもない事は何度か経験してるんやけど

その時というか、あとあと思ったのは

「人を巻き込まなくて本当に良かった・・・」って事。



10代でなにより車が大切だったけど、

それでも所詮物。

悲しいけどまた買えばいい。

愛着もあるけどね。



失うことはそんなにつらくないんよね 不思議と。

なんか「しょんぼり」する感覚。

元気は出ないけど。

苦悩とは違う。



でも人を傷つけてしまった時、

わざとでも後で後悔して苦しんでしまう。

それがもし不可抗力でそうなっちゃったら・・・

もうその苦しみは本当に計り知れない。



ちょうどシンジの訃報の時書こうとしてたのがそういうテーマで

自分の中ですごく大きく言いたいこと。

今あらためてブログ書こうと思ったのってその偶然が気になって。

シンジの言いたいことでもあるんかなって・・・

最近の世の中の風潮見てたらもうあげ足とりに誹謗中傷、

しかも匿名でひどい事を言うのが普通になってる。



本来パンクって反社会だと思うんだけど

まっすぐ胸張って生きてこうぜ!っていうメッセージがパンクになるって事

ものすごく皮肉やなって思うねん。



あいつらの新曲「YOUR SONG」をはじめて聴いて鳥肌立った。

「あっきたわコレ」って思った。

今までの曲もセンス良いしすげーカッコイイけど、

これは「今までと全然違う人たちにも分かる音になった」って思った。

しかもちゃんとあいつらのカッコ良さは残したまま。

これなら「え?パンク?興味ないけど」って人に

「ええから聴いてみ」って言える。



俺と同じ世代は結婚してパパやママになってそこそこの歳の子がいたりするけど

そういう子供たちが気に入って「歌ってる」って。

すごいよな。

正直なんかジェラシー感じるくらいこの曲はヤバイぞ!って思った。



シンジは昔からバイオリンやってて絶対音感があって、

なにしてもセンスが良かった。

運動も勉強もなんでも「さらっとできちゃう」やつやって。

「片っ端から問題児」やった俺の反対の鏡みたいなん。

そんなあいつがバンドにはまって、

バンドを始めだした頃にちょこっと一緒にバンドやってた事がある。

すぐ別のバンドになって俺のバンドでやってたイベントとかにも出てもらってたりで

その時からもうセンスがずば抜けてた。

俺が人前で褒めるの、なんかすごく照れ臭くてほとんど言った事ないけど

こと音楽に関してはずっとあいつを尊敬してた。



弟だし、お兄ちゃんて頼られたり、ドン引きされたり、

変なバランスでずーっと兄弟やってきた。

だから本当にあいつとはキャラクターもやる事も違うんだけど

でもどっか一緒の部分があるんよね。

俺の方がだいぶひん曲がってて、

人に素直に気持ちとか言えるようになったの30越えてからやしw

あいつなんか昔からあのままやからいつでもみんなに愛されてた。

俺は・・・まぁ良いか。

もし興味あったら誰か知ってる人にでも聞いてくださいw



それでね、そんだけ違う二人やけどやっぱり兄弟で、

なんか色々似てるとこあって。もうDNAレベルの話な、基本全く別物w

だからあいつがしゃべれんくなった時に、

あいつの声を伝えれるのは俺しかおらんなって思う。



俺はあいつを尊敬してるけど、

変な話いちばん負けたくない奴でもあった。

ライバルっていうんかな?

音楽ちゃうで、音楽では逆立ちしてもちんちん鼻から生えても無理w

そうじゃないとこで、ずっと意識してる。



だから今まであいつの事をあんまり人に言ってこなかった。

もちろんすごく自慢でもあるから、言いたくてうずうずして、

我慢しきれずに言っちゃう事も多かったけど。

少なくとも初対面で「阪井信治の兄です」って自己紹介はしなかった。

阪井信明、NOBUAKI SAKAI、です。って名乗る。

もし暇があったらグーグル先生に聞いてみて。

少しは出るからw



でね、今俺は必死であいつの事を伝えようとしてる。

少しでも多くの人に知ってもらおうとしてる。

あいつの音楽は最高。

それはほっといても伝わるもんだからそんな事じゃない。



あいつは今話す事も弾く事も、なにより歌う事ができない。



今回の事は、「これからのシンジ」がアップデートされる事はなくなっちゃったって事。

それは仕方ない。

だってもう起こった事だしね。

でも「今までのシンジ」が「気まずいエネルギー」に負ける事は許せない。

え?シンジは負けない?シクセブは大丈夫?



絶対そんな事ないよ。

ものすごいピンチやと思う。

シンジがいなくなる事だけじゃなくて、

Ryoちゃんとタケシ君が深く傷ついてる。



こういう事が起きた時、

「バンドを続けていくのを申し訳なく」絶対思ってるよ。

「どんな顔してステージに立ったら良いねん」

「誰がベース弾いたら良いねん」

絶対そう思ってる。



そしてね、それを一番悲しむのはシンジやねん。

あいつがRyoちゃんと出会った時から知ってる。

その時のバンドも深く愛してて、

そのバンドは LUCK UP っていうバンド。

俺の中、いやあの時の俺たちの中では完全に伝説。

バンド仲はすごく良くて、

ただ「この先どうする?」って事で仲良く解散したバンド。

それでね、その最高に愛してたバンドとお別れしてまで

あいつが「組みたい」と思ったのがRyoちゃん。

そっからずーーーーーーーーーーーーーっと一緒。



シンジが志半ばで力尽きた時、

「よし次!」って簡単にいけるような浅い仲じゃない。

しかもあいつのその時を目の当たりにしちゃって。



事故の事を聞いてシンジが聞いたってきいて、

そっからRyoちゃんにすぐ連絡取ろうとしてたけどずっと取れなくて、

夜になってからやっと話せた。

深く深く傷ついてて、ほんとうにどん底でぐしゃぐしゃで。

そうだろうと思ってたけどそれ以上に深い傷を負ってた。



うちの家族は「静かに送ってやろう」としてたけど

俺が止めた。

シクセブでやってやってくれって言った。

Ryoちゃん、タケシ君に見送ってもらってやってくれって頼んだ。



シンジの訃報を聞いてから、

片っ端から昔の仲間に連絡した。

俺は悲しさからじゃなかった。

義務からでもなかった。

なんでか分からなかったけど。

とにかくいっぱい伝えた。

きっとね、シンジがそれを望んでるから。

だから訳も分からんままいっぱい伝えた。



シンジと俺は2コ違いで、誕生日も2日違い。

阪井信明 と 阪井信治。

俺が「 明」の字をもらって、信治が「治」の字をもらった。

ぜんぜん違うのに根っ子は一緒、そんな感じ。



あいつがあいつの身体が存在するのはもう少ししか時間がなくて

その間にどうしてもやりたい事があるんだと思う。

それを俺がやってるんだと思う。



信治は絶対に今自分の事よりRyoちゃんとタケシ君を心配してる。

「まぁ俺は良いよ。しょうがないしw」

って言ってると思う。

信治の事を知ってる人はあいつがそう言う顔が簡単に想像できると思う。



あいつが気にするのは残されたメンバーの事だし、

あいつが望むとしたら未練ではなく「ただ愛されたい」だけだと思う。

「あぁしとけば!」とか「なんでこんな・・・」とかは無い。

断言する。

あいつの脳みそにそういう引き出しは無い。

だからあいつの希望は、ちゃんとシクセブが次に進むこと。

あいつよりカッコイイ音を出すシクセブになる事。

それをヤキモチ焼きながら楽しみにしてるようなやつ。

信治はそういう奴。



どうすればそんな事ができるのかは分からない。

でもそうなって、あいつが創った音を、あいつ以上に鳴らして欲しいと思う。

あいつ以上に心に届く声で叫んで欲しいと思う。

このまま記憶の中だけに生きてフェードで消えてくなんて絶対嫌だと思う。



YOUR SONG



あれができたのは絶対偶然じゃない。

すごく悲しいけどどうしようも無い運命のなかで、

あいつが伝えたい事が曲になって歌になったんだと思う。

だから聞いた瞬間に全身に鳥肌が立ったんだと思う。



良い歌ですぐ大好きになったけど、なんだか怖かった。

歌がじゃないよ。

なんか怖くて、それが何なのかは分から無いままだったけど、

なにかがあるのを感じたのかもしれない。



ネットのおかげで今はあの歌を聴く事ができる。

あいつの声をメッセージを聞く事ができる。

この後どうしたら良いのかは全く分からないし、

たぶんそれはメンバーや音楽の仲間たちが支えたり道を探したりするんだと思う。

それは当然俺が関わる事ではないし、ただ楽しみに待つ事しかできない。



いまFBやブログで書いてるのは俺だけど俺じゃないと思う。

自分でも何かいてるかイマイチ分からんし。

昨日もあいつに会いに行って冷たい身体に触れて、

あいつの手やあいつの顔やあいつの目を見てきた。

あいつとしゃべってあいつの気持ちを聞いて、

「やっぱりそうやろ?そうやと思った!」

そんな事を話しながら本当にあいつと一緒に高速ぶっ飛ばして帰ってきた。



俺は「阪井信明」であって「阪井信治の兄」であるのはその次。

だから明日あいつが旅立ったらまたいつもに戻るんだと思う。

でも、今シンジが少しでも安心していけるようにしてやりたい。



このブログを読んでくれた人にお願いしたいんです。

何をか分からないけど、シクセブを守ってあげてください。

はじまりの歌、深呼吸して待ってるらしいから

どうかどうかシクセブをよろしくお願いします。

Ryoとタケシを、

そしてShinjiの SECRET 7 LINE を

どうか宜しくお願いします。


「よく生きてんなぁ俺」1年ぶりのブログ更新してみたら思ったこと。

なんと最後の更新が2017年の8月1日、今日が2018年の7月29日だからちょうど1年経った。ブログ更新をサボってた訳ではなく、 このブログでなくオフィシャルサイトで「家具作りたいおっさんのひとり言」ブログをずっと書いてた。 1年放置してなんで突然書き出したのか?って特に意...